そだちを導くもの
赤ちゃんをみていて思ったのは、臨界期に親がどういうチャンネルで育てるかが、どんな幼児期になるか密接にかかわるのかもしれないということ。ことばだけでもなくて、からだだけでもなくて。言葉でそだつからだ、身体でそだつからだ、もうひとつ付け加えるなら音で育つからだ、ということかも。言語と、運動感覚・聴覚≒リズム?
混沌状態から、何かつながった瞬間の生き生きとしたまなざし、表情は忘れがたい。目の前の子どもの力を感じる。その場に居合わせることは喜びだけれど、大人同士が必ずしもまさにこの瞬間を共感できるとは限らない。あっ、と思うとき、違うほうをみていたりすることが往々にしてある。
育てる上での不器用さ、について最近考えてきたのだが、一度に並行処理ができないということとか、例えば動きをまねるセンスを発揮できないだとか、思うとおりにやろうとすることが、まずできない(妨げる要素が働いているから)ということが含まれるか。
一体どうしたいのか、が確かでその方向にまっすぐ力が働けば、克服できるところはある。
どうしたいのかを確かにすると、また違う苦しい道がしばらく先にあるのが見える。どうする?そこに耐えられるか?
日本人は、身もふたもない事実をくるむために、あかんぼはわからないことにしてきたのかもしれない。
嘔吐下痢症のときの食事
子どもではなく大人の場合ということで。なんとなく消化管が痙攣するような感じはしていたのだが、お腹の冷えと痛みから一気に数時間で悪くなった。
特に腹痛、腰痛が強く、MAXではインフルエンザの関節痛なみ。発熱は37度代でも、強烈な悪寒で羽根布団を余計にかけてもらい、カイロを入れても収まらないほど。スポーツドリンクはなかったので、常温のジンジャーエールに塩を入れて飲んだ。
完熟バナナをオーブントースターで焼いたものを少し。冷え切って足腰が痛いのかもと考えて、薬湯で半身浴。肩にバスタオルを巻く。浴室のなかで水分を拭いてゆるめの服を着て布団に直行。
おかゆを2日目の夜にようやく食べると(何しろおなかが空いているので)腹痛が倍増、夜中に目が覚めた。整腸剤がじんわりときいてきたのか、2日半でほぼ復調。
*本物の(生姜果汁入りの)ジンジャーエールは市販ではなかなか見つからなかったのだが、日生協の缶(200g)で出ている。近所の店舗ではみたことないが、たまに個配で扱いがあるときはまとめて買っている。こういう非常時には便利。