基本的にあかんぼが「わかっている」とは、

思うようには日本人は育てられてきてないし、育ててきてない。まだ赤ん坊はわかってないから、と思っている。向き合う、という人間関係は人生の初めどころかもちろんそれ以前からない。自分と他者の輪郭さえもぼんやりとしたものである文化で、いわんやあかんぼは別の他者とは認識されない。「からだはその子自身のもの」であるなどとは今でも環境に、あるいは世代によってはひっかかりを感じる考え方だろう。と思う。子どもを育てていると、少なからず町の医者を訪れる場面がある。あらゆる診察において、処置において、その子自身の名前を呼ばれ、語りかけられる場面など、ほとんど見ない。そこで医療を提供する者がよほど意識的でないかぎり。端的にいうとそういうことがあると思う。