カテゴライズしない…ドリー的なものについて

(ニモのエントリーと、はてなキーワードから来てくださるかたが多いようなので、少し意識して書いています。が、未整理。追加か削除するかもしれない)

実際ドリーのような人が側にいたら…共に仕事をする上ではすごく大変だろうと思う。すぐどこかにふらりと消えてしまうし、約束したこと、責任を果たすべきところなどを始終忘れる。言うことがその場その場で違うので信じられなくなってくる。

マーリンと旅を続ける中で、ドリーが記憶できたことに小躍りして喜ぶところ、あのエピソードが忘れがたい。あそこで何かがしっかりとつながる。
マーリンは、守れなかった痛みはあるけれど、見捨てない。ニモを、ドリーを…自分の望み、も。だから、ドリーにとってマーリンは特別な人(魚だが)なのだ。

カテゴライズしてしまうのは楽なのだけど、そうするのはある意味捨てるということだ。
対等につきあうというのは時々しんどくて、見せ掛けの優しい処世術に流れたくなる。
振り回されるのは正直言ってかなわないが、自分の軸がぶれてるということかも。
もう少し付き合い方を考えればやってけるような気もしている。