暗黙のルール

「話すな」「感じるな」「信頼するな」ということについて。
問題にしてはいけないという圧力、「こういうことにしておきましょう」がまかり通るなら、その箱を「家族」(家庭)だと言い張っても、「機能不全家族」だということなのだ。
”いろいろあるけれども総合的には感謝しなくちゃ”という落としどころに誘導したがるのは誰なのか。問題に気づき始め、それに向かい合う作業をしている最中の人を妨げるのは何のためか。


ただ、そんな者はどこにでもいるのだ。アサーティブネスのワークの参加者の中にも。でも、怒りを持って、と言う感じではなく見ている。何も解決していないのに一歩先を行くフリはやめて、自分が実は何から逃げているのかを立ち止まり胸に手をあててみる時期なのだ。それはたぶん私も一緒だから。