自然もしくは、

この国で子どもを包むからくりに気づいたあと、どう生きていくかと言うと、「代弁者」になれるということもある。私自身は「くりかえさない」という部分で働きたいと思っている。実際のところ、生活するにんげんのこどもたちには、近未来はかなりぐしゃぐしゃな状況のように見える。だけれど単に形式だけを揺り戻せばいいってもんではないし、相手を見る聴く、ということを踏まえない集団に利用されたくはない。
現場を持っていること、自由にものが言えること。この2つながら僥倖といえるようなもの。


但し、子ども時代を振り返って、何がよかったかというと、戸外で黙々と一人で遊ぶ時間があったということだ。そこだけは残したいと思う。むしろ作ってしまわないとない、この辺では。異年齢だの集団遊びだの、その前に、しゃがみこむ土がない。

装置としての自然も、人の育ちには必要だと思うから、子どもたちを意図して連れ出す。大人として、生き易い場所に住んでいるのだから、これも親のエゴに変わりないかも。