「とてもよくわかるわ」と肩を抱かれることについて。

数日前、”仰天なんとか”のような世界のニュースをドキュメンタリータッチの再現映像で集めた番組をなんとなく見ていた。
女友だちや家族に慰められ肩を抱かれる、というのはありがちなシーンだけれど、その時、本当に感じていることはどうなのだろう。

「とてもよくわかるわ」といわれれば「いいえ違うの」と言える場合もあるし、言わないで呑み込んでしまうこともある。
「あなたはこう思っているのよね?」と言われながら、違う解釈で切り取られるときのもどかしさ、あるいは苛立ち、あきらめ。
相手の”善意”によって、感じ方に侵入されていると直感してしまうとき。

問題を整理したい、乗り越えたいときに、感情レベルで下手な共感を示されると、浅い段階で作業が強制終了させられてしまう。



違いを乗り越える、ということができるのかどうか、本当のところはわからない。

ただ、似ている、と感じるのは、相手に近づきたいからなのだと思う。
だから「あなたは理解していない」とフラットに言われるだけで、
きっと思いのほか、傷ついてしまう。

感傷に溺れず側にい続けるのは、時折かすかに痛みも覚えるし、難度の高い技なのだ。


高を括らないこと。
手を抜かないこと。 
いつでも。