書けば書くほど

なんだか、意図と違って攻撃しているように思われてしまってるのかな、という気がする。

昔こんなことがあった。子どもを連れて参加したある会で目の前に座っていた人から「そんな2人共ちゃんと座ってるなんて信じられない。女の子っていいわよね、楽で。熱なんてださないでしょ。怪我なんてしないでしょ」といきなり言われたのだ。いや、浴びせられた、と本当にそういう感覚。

まあ、八つ当たりをされたんだけれど。
「熱は出すよ。怪我は少ないかもしれないけど。それから楽かどうかということなら、女の子しかいないからわからないね」
というのがやっとだった。ただ、その後半を言えた辺りで、むこうが一瞬あっ、というような顔をして、流れるように苦労話?が始まったのだ。

上の子では身体的発達がゆっくりだったこと、家庭外でのコミュニケーションが難な時期があったので、「異常なほど大人しい」という言葉にずいぶん痛い思いをした。スーパーで。街で声をかけてくれるおばちゃんに。たまたま乗ったタクシーの運転手に。
外出するのが怖かった。


だからと言って?この経験談は、「男の子だからしょうがない」の人に対しては、何も役に立ちはしない。


ここから、語弊を承知で書くと
子どもが男女2人ずつ以上いて、それぞれ障害児も健常児もいる母なら、常に最強ということになってしまうのかどうか、ということだ。

全ての立場を兼ね備えるのは困難で、そこは想像力では補いきれない部分がどうしてもある。

親子という関係性へは「痛みを感じるな」「たいしたことはないのだと思え」とか「相手の状況を斟酌して、がまんしなさい」(というのは名目で、実は円く収めたい気持ちのほうが主の場合)というような対応を子どもに対して大人がしないような働きかけをしたいと思っている。

対等な社会人同士では「それは悲しい」「ここはわからない」と伝えるところからしかできない。

「私の大変さをわかって欲しい」にはやはりTPOが必要なんだと思う。
私はたぶん、プライベートとそうでないときは、意識して自分の立場を考えなおす。場合によっては、これまでのいろんな場所で仕事としては、異性の子どもにも関わってきた、とあえて伝えることもある。

でも、誰か=あなたと、うまくやって行きたいときは、あなたってものはこうでしょ、という言い方はしたくないな。とそう念じているのだ。