隣の

くに(エリア)だからお互い余計理解できないってことはあるかも。

私は大人になってからの知人(首都圏育ち)に「うちの両親はよく”本土に砂糖とられて”といっていたわ」と言われて一瞬ひいたことがあった。そういう文脈では全然なかったのだけど。

九州本土の雨風だって、人によっては想像もつかないらしい。これも経験あり。
あの流れてくる病人、総出で対応する一晩。水の引いた後の崩れた家財の積まれた道端とまちのにおい。

そこに代々住み続けていることそのものが、ひとのこころのたちにも深く関わっていると思う。