たとえば

1、2歳の第一子で他の子のものを取り上げてしまう、あるいはたたいてしまうという行動に悩んでいる母からよく「男の子だからしょうがない」という声を聞くのだ。私は娘だけということもあるが同じようなことで悩んだ経験はない。なので、「そうだよね男の子だからしょうがないよ。いいじゃん適当にあやまっとけば」とは、言えないのだ残念ながら。

そうだね、過去付き合ってきたママ仲間の言い分では「子どものやることなんだから、目くじら立てなくても」とか「お互い様なんだから。お菓子も持っていったのに」というのもあったか。子どもをコントロールできないいらだちとか、謝り疲れとかあるんだろうけど。
”適当に”謝る、というのも周囲に対する一種の甘えだと思う。

子どもの年齢や、理解度にもよって、実際の対処は異なる。そこんとこを一緒に考えるのが自分の仕事なのだが、
「そうか」
と言った先が、ジツの所本当に難しい。

「しょうがない」と言うほうは共感を求めているんだろうけどね。
大変だろうな、ということはわかる。でも「〜だからしかたない→許されて当然でしょ」というところには持っていきたくない。
吐き出しは吐き出しで。プラス「それを言っちゃおしまい」の部分をわかって欲しいな、と思っている。

ああ、でも関わってる子育てサロンのスタッフ仲間にも「…お子さんどういう男女構成ですか。じゃあ男の子を産まなくちゃいけないですね」と言われちゃったりするんだな、これが。(スタッフじゃなく、来所者さんにも産めとか言わないんだろうかと、後でちょっと心配になった)

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「まずごめんなさいって、それからだよ」 id:satomies

ここのところ、はてな界隈で知的障害児の母(?)の行動についての経験談がいろいろあって、大体目を通したのだが、「子どもに対する責任」「母である女性の社会性」ということなのかなと思う。
子育ての責任は全て母親のものであるとされるとしんどいのは間違いない。
で、そこに介在するまなざしのありかたとか、母自身がどう関わっていくかっていうことに収斂してしまうだろうと、私は思っている。

なかったことにしてしまったり、見ないフリをしてしまうことが日本人は得意なので、その文法を使いたがる人、全体のクセはなかなか抜けないと感じるけれど。

このあたり、子育てしてない男にはわかりづらいだろうなあ。