ブックマークから

いろんなリンク先を読んだのだけれど、構造としてはある種、女性問題になってしまうのかもしれない。
にっちもさっちもいかなくなるずっと前に、子育ての支援としてのかかわりはどうだったのだろうか。ニーズがなければ入れないだろうけれど。

いろんなことが崩れてるというか、今までと違うことに危機感をもつひとはそれぞれの立場でいるのだろう…。だけれど、たいていの場合誰でも(男でも女でも)仕事をしながら子育てをするということはもう避けられなくて、その中で子どもの育ちをいかに弾力的に守っていくかを考えるしかないと思う。
コミュニティで子育て、、といってもそこがカルトだったらという問題はあり、そこまでいかなくても地域の中で価値観が違う、文化が違うということは普通にある、これももう避けられないのだと思う。だからこそ、閉じさせない、つながり続けることの意味の重さを感じる。


正しさを証明するための子育てになってしまうことはダークサイドで、落っこちないためには、母が自分の足で立つことを意識するしかないだろう、そこが一番気になるところ。